安土城の決闘(第27話)どうする家康
光秀の怨恨説が本能寺の変の原因だった、という書物が多い中、家康黒幕説はあり得るのか?今回の大河では今も所は家康黒幕説で進んでるようですが、、、今回は鯉料理を口にしなかった家康は良かった。家康に愚痴った信長には初めて引いた。
光秀の怨恨説が本能寺の変の原因だった、という書物が多い中、家康黒幕説はあり得るのか?今回の大河では今も所は家康黒幕説で進んでるようですが、、、今回は鯉料理を口にしなかった家康は良かった。家康に愚痴った信長には初めて引いた。
信康の死後、秀吉は中国攻略の総指揮官となり、歴史の舞台に躍り出てきます。本願寺戦争も終了し、織田家筆頭の佐久間信盛は失脚。伊賀の忍者集団や一向衆も殲滅させられます。そして1582年、長年の反織田徳川勢力、武田氏が滅亡し、時代は第二ステージに移行します。
今回の内容はくどいし、進まないし、家康が情けないし。今までで一番観ごたえがなかったです。山岡荘八の徳川家康とは、かけ離れた内容(今までもそうですが)過ぎて、う、うーむって感じでした。
信康築山殿事件については五徳の12カ条の弾丸状が原因の事件ではなく、徳川父子の方向性の違いから信康がクーデターを画策。家康が間一髪で事前に気付き、反乱軍を鎮圧。信康に反省を促すも信康は反抗的な態度を改めない為、廃嫡切腹となったってのが本当です。
信元殺害は家康と信長、2人で仕組んだもの、という説もあるし、領土問題で佐久間との仲が怪しくなった元信に佐久間が先制パンチを食らわした説、信長が知多、碧海24万石をうっとおしく感じたなど原因は不明です。
この時代のルールとして援助されている家康軍が危険な鳶ヶ巣山夜襲をした事も家康の本陣が設楽原合戦地に近い高松山にあった事も合点がいきます。家康の為?に3万の兵と1,000~3,000の鉄砲を用意した信長に家康はもっと媚びるべきだとおもいます。
信玄の跡取り、武田義信が廃嫡になるまで、勝頼は諏訪四郎勝頼と名乗り、武田家臣団の外様的存在でした。義信は今川氏真の妹を娶っていた為、駿河侵攻を企てる信玄に反抗し幽閉、殺害されます。その代わりで武田の棟梁になった為、家臣団からのあたりは非常に強かった。
大賀弥四郎事件は長篠合戦前後に勃発した事件で、事件の犯人とされる弥四郎は中間(ちゅうけん)程度の小物だったのか?大賀ではなく大岡氏の起こした事件だったのでは?信康や水野信元も関与したクーデターだったのでは?詳細は三河物語、家忠日記にも記述無しの事件です。
信玄の死が確定する矢や、畿内の将軍家と浅井、朝倉を速攻で粉砕するとは流石信長、まさに時は金なり。家康の奥平氏を味方に寝返らせ、長篠、犬居城を落とすなど、なかなかの動きをしますが大賀弥四郎事件や高天神城を奪取されるなど、まあ±0ってとこかな?
三方ヶ原で快勝した武田軍は、浜松城を攻撃せずに、そのまま陣座峠から長篠城に立ち寄り、そのまま別所街道を今の江島まで向かい豊川の浅瀬を渡り、野田城を包囲します。野田を抑え、豊川の舟運を押さえて吉田、田原、三河湾を制圧する作戦だったようです。