岡崎クーデター~武田勝頼の調略(第20話)どうする家康
大賀弥四郎事件は長篠合戦前後に勃発した事件で、事件の犯人とされる弥四郎は中間(ちゅうけん)程度の小物だったのか?大賀ではなく大岡氏の起こした事件だったのでは?信康や水野信元も関与したクーデターだったのでは?詳細は三河物語、家忠日記にも記述無しの事件です。
大賀弥四郎事件は長篠合戦前後に勃発した事件で、事件の犯人とされる弥四郎は中間(ちゅうけん)程度の小物だったのか?大賀ではなく大岡氏の起こした事件だったのでは?信康や水野信元も関与したクーデターだったのでは?詳細は三河物語、家忠日記にも記述無しの事件です。
信玄の死が確定する矢や、畿内の将軍家と浅井、朝倉を速攻で粉砕するとは流石信長、まさに時は金なり。家康の奥平氏を味方に寝返らせ、長篠、犬居城を落とすなど、なかなかの動きをしますが大賀弥四郎事件や高天神城を奪取されるなど、まあ±0ってとこかな?
三方ヶ原で快勝した武田軍は、浜松城を攻撃せずに、そのまま陣座峠から長篠城に立ち寄り、そのまま別所街道を今の江島まで向かい豊川の浅瀬を渡り、野田城を包囲します。野田を抑え、豊川の舟運を押さえて吉田、田原、三河湾を制圧する作戦だったようです。
歴史小説や歴史ドラマなどでは信玄は信長や家康がもっとも恐れ戦を避けていた相手と言われているが、案外、さほどでもなかった様に感じます。信玄も家康はさておき信長の事は結構一目置いていた様です。三方ヶ原合戦も同数なら案外五分五分だったかもしてません。