氏真~今川滅亡 (第十二話)どうする家康
家康と信玄との間には密約はあり遠州は家康、駿河が信玄、という約束で時を合わせ両面から攻め込みました、信玄はあっという間に駿河を占領した様に描かれてましたが、実際は今川の残党と北条氏康の激しい抵抗を受け一旦は甲斐に退散。家康より1年遅れで駿河と遠州の一部を占拠しています。
家康と信玄との間には密約はあり遠州は家康、駿河が信玄、という約束で時を合わせ両面から攻め込みました、信玄はあっという間に駿河を占領した様に描かれてましたが、実際は今川の残党と北条氏康の激しい抵抗を受け一旦は甲斐に退散。家康より1年遅れで駿河と遠州の一部を占拠しています。
桶狭間合戦後、家康は6年の年月を費やし、三河統一を成し遂げます。一方信長はと言うと領土は増えてはおらず尾張一国のままです。三河守に任命された家康は武田信玄の誘い、というか恫喝に屈し、武田の駿河侵攻と時同じにして、遠州に侵攻します。
正室の瀬名姫、そして側室の、お葉、こと西郡の方も親今川の鵜殿氏の女でした。信長としては「何を考えているんだ(怒)」って感じだったと思われます。元康は生涯で2人の正室と16名の側室を持ちました。
ドラマで描かれていた様な、吉良義昭や松平昌久、一向宗が団結し連絡を取り合って元康に反旗を翻した、はなかったとおもいます。乱後、一向宗寺院は全て破壊されましが、約20年後の秀吉の時代になって三河での再興を許されます、