わしの家、第七話、どうする家康

 

ちょっと、古き良き小説や大河ドラマで描かれた家康像と三河武士像を壊しすぎだと感じ出してますが、まだ観続けます。

 

まずは、今回のドラマの舞台になった本證寺ですが、13世紀頃、この地(現、安城市野寺)に建立され当初は浄土真宗高田派の寺院でした。

 

1468年(応仁の乱勃発の翌年)本願寺蓮如が三河に来て、説法をはじめ、民衆の共感を得たことで西三河で本願寺派の勢力を強めていきます。

 

この時、野寺本證寺、佐々木上宮寺、針崎勝鬘寺などの三河三ヶ寺と土呂本宗寺などは浄土真宗高田派から浄土真宗本願寺派に改宗し門徒を増やしていきます。

 

そしてドラマの中で元康と話しをしていた空誓なる坊主は本願寺蓮如の九男にあたる実賢の直系の孫にあたる本證寺住職です。

 

因みに東三河は豊川稲荷で有名な妙厳寺の曹洞宗が強く、一向宗も勢力を延ばす事はしなかった様です。

 

*浄土真宗本願寺派=一向宗です。

 

一向宗派の寺院は15世紀に入ると、城郭寺院と言われるものになり、松平清康や今川義元にも、守護不入の権を認めさせるほど強大なものになりました。

 

守護不入の権とは租税免除と治外法権が認められていた、という事です。

 

野寺本證寺
本證寺を囲む堀は深い場所で4メートルほどありました。
針崎勝鬘寺
佐々木上宮寺の石碑

上郷城攻略後、東三河に攻め入りたい元康ですが、ドラマでもいっていた通り、銭や食料がない。

 

銭や食料があるのは元康の領地内では不入の権が認められ、税金(ここでいう米)を支払っていない一向宗派の寺院だけ、という状況でした。

 

一向宗寺院からも他の宗派の寺院同様租税を徴収したい元康と、不入の権を盾に納税免除を継続させたい一向宗寺院との間に対立が生じます。

 

元康VS一向宗門徒の戦いなら、元康が苦戦はするが、負けはない戦いになりますが、厄介なことに元康の部下のかなりの武将が一向宗信者でした。

 

その為、元康配下の武将で一向宗側に寝返った者がかなりの数いました。

 

大森南朋演じる酒井忠次の叔父にあたる酒井忠尚

 

ドラマでは酒井忠次が酒井家の筆頭の様に描かれていますが実際は酒井左衛門尉家の兵の大半は忠尚の配下にありました。

 

松重豊演じる石川数正の石川家も実際の当主は数正の父の広成であり、祖父の清兼でした。

 

広成、清兼は熱心な一向宗門徒で、この戦いでは最後まで中立をとおし、元康軍として戦うことはありませんでした。

 

大久保家は日蓮宗だった為、一向宗に加わることなく一族こぞって元康側でしたが娘婿の蜂谷半之亟が一向宗側で元康に反旗を翻しています。

 

他にも鳥居元忠の兄広忠本多正信(松山ケンイチ)伊奈忠次、ドラマでは元康に名前を逆さに呼ばれていた夏目吉信らが一向宗側として元康と戦いました。

 

次に三河一向一揆の時系列ですが、これをここで書いちゃうと来週、書く事がなくなるので今回はこれで終了します。

 

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コメント

  1. トヨダマサヒロ より:

    いつも読ませて頂いています。
    写真入りでわかりやすく、歴史系の雑誌の記事を読んでいる感じです。
    これからもよろしくお願いします。