信玄を怒らせるな(第16話)どうする家康
あっという間に駿府を占領し、駿河を合併したかに見えた信玄率いる武田軍でしたが、北条氏康、今川氏真をその残党、上杉謙信らに敵対視され4年間、前にも後ろにも行けない苦しい状態が続いたが、北条氏康没を機に運気も戻り、ついに京に向かって進軍します。
あっという間に駿府を占領し、駿河を合併したかに見えた信玄率いる武田軍でしたが、北条氏康、今川氏真をその残党、上杉謙信らに敵対視され4年間、前にも後ろにも行けない苦しい状態が続いたが、北条氏康没を機に運気も戻り、ついに京に向かって進軍します。
従来の姉川合戦感といえば浅井、徳川の強さと織田、朝倉の弱さが目立つ記述が多かったですが、実際は、まあ朝倉はどう見てもやや駄目だが、織田軍は結構軍団としては強かったのかな?て事と、浅井長政の引き際、徳川軍の強いというより粘り強さが認識できました。
実際はどのような時系列で越前に侵攻し、撤退して来たのか?太田牛一の残した信長公記から探っていきます。金ヶ崎の撤退までの信長軍はまさに破竹の勢いです。長政の裏切りがなければ、早い段階で信長はまさに天下人になっていたかもしれません。
自称?出生の城、浜松城。関水渚演じる於田鶴(おたず)の方が籠城していたのは古城(こじょう)と言われている引馬城でした。また若き日の秀吉も浜松城下の頭陀寺に館を構えていた松下氏に仕えていました。家康、秀吉、井伊直政を育てた浜松はまさに出世の地です。
豪快に駿河を攻略したと思われがちな信玄ですが、実際は詰めが甘く北条氏康を敵に回した為、2年近く足止めを食らっていました。家康も、この機を生かし、せめて遠州一国くらいは配下に治めたいとこだったが信長にいいように使われ勢力拡大に失敗しています。