徳川家康と松平一族(10)初代松平親氏、泰親、信光、親忠
時宗の僧、徳阿弥が松平太郎左衛門家に婿養子で入り、松平郷から岩津に進出。室町幕府足利将軍家の奉公衆となり、信光の代には安城や幸田、蒲郡、豊川の一部のまで、その勢力を拡大して行きます。三河に登場した新興武士松平氏の始まりを調べました。
時宗の僧、徳阿弥が松平太郎左衛門家に婿養子で入り、松平郷から岩津に進出。室町幕府足利将軍家の奉公衆となり、信光の代には安城や幸田、蒲郡、豊川の一部のまで、その勢力を拡大して行きます。三河に登場した新興武士松平氏の始まりを調べました。
武田勝頼への内通疑惑、妻徳姫との夫婦中の悪化と信長への告げ口など諸説はあるが、信長から、信康は織田徳川両家の為に好ましくない人物だから廃嫡し切腹させるべし、とのお達しがあり、泣く泣く手にかけた、、、、と歴史小説には記述されているが、果たして真実は?
信玄の死後、奥平氏は早々に勝頼を見限り家康側に鞍替えします。勝頼にとって奥平氏だけは許されない存在となります。その奥平氏を餌に長篠に勝頼を釘付けにする家康。絶対降伏できない奥平と絶対見過ごしにできない勝頼。長篠には三者の譲れないこだわりがありました。